見えているのに見ないもの

車通勤です。

 

途中長い坂道があります。

 

坂を登りきったところで幹線道路を渡ります。

 

渡ってしばらくするとまた長い下り坂になるのですが、

 

下り始めてすぐに、遠くの山々の間から

 

富士山の頭が顔を出します。

 

暖かくなると霞んで見えない日が多いのですが、

 

今日は少し寒くて空気が澄んでいたため

 

けっこうはっきりと見えました。

 

冬の晴れた日には必ず見ることができる富士山です。

 

目に入ると、とても大きくて何だか得した気がします。

 

なのに、そんな存在感のある富士山なのに

 

くっきり見えているはずの晴れた冬の朝に見えないときがあります。

 

それは、見えているのに心が見ていないんですね、きっと。

 

そして、そんなときは大抵

 

「仕事行くの嫌だなぁ」

 

「昨夜食べすぎてお腹が痛いなあ」

 

「入院している親の具合が心配だなあ」

 

と、ネガティブな思いを持っているときです。

 

どんなにキレイで勇壮なものが目の前にあっても

 

余裕がないときには「見ることができない」のですね。

 

ネガティブな気持ちのときには

 

綺麗なものを見ても、

 

やさしくされても、

 

おいしいものがあっても

 

五感がそれを捉えることができないのだと思います。

 

ということは、もちろん困っている人がいたり、

 

誰かを傷つけてしまったり、

 

大事なものをなくしても、

 

気づくことができないのかもしれません。

 

怖い怖い・・・。

 

体も心も健康で、きれいなものを「綺麗」と思えることは、

 

とてもとても貴重なことなのだと思います。

 

皆様今日もお疲れさまでした。